最近、母校(高校)の同窓会の会報誌のコーナーである「卒業生の現在(いま)」に、私を掲載したいということで、取材を受けました。同級生が同窓会の副会長を務めている関係で推薦してくれたようです。
高校時代に印象に残った出来事を中心にインタビューを受け、聞き手である同窓会の会長さんが記事を作成してくれるとのことでしたので、薄れている記憶を必死に呼び起こし色々と受け答えさせていただきました。一番思い出に残っているエピソードは、夏休み中、プールの裏にある部室で私以外の部員が麻雀をしていて、牌を混ぜる(洗牌)独特の「ジャラジャラ」という音が暑いから窓を開けていたため、プールで補習中の体育教師に聞こえてしまいこっぴどく怒られたことと、それが理由でお盆休暇の際、抜き打ちの部室調査があり、麻雀セット一式がなくなっていたことです。
それだけではよくあることなので、さほど印象には残らないと思うのですが、なぜ強烈に覚えているかというと、最初麻雀セットがなくなった際、顧問は「泥棒が入った」と言ってとぼけていたのですが、部員のO岩君が「2-1 O岩のもの」と書いておいた彼が愛してやまない女優さんが載っているHな本が唯一残されていたことから、顧問の言っていることが嘘だと分かったからです。ある意味、O岩君が真の犠牲者でした。
これは使えないということでしたので、他のエピソードをといわれたのでそのO岩君と、もう一人の友人I藤君と私で「ポンヤ道場」というものを結成したエピソードをお話ししました。当時3人は柔道部であり、ちょうどヒクソン・グレイシーが格闘技界の表舞台に登場したころで、今の格闘技ブームの黎明期でした。その影響をもろに受けた高校生が結成したポンヤ道場には“「常在戦場」の心持で常に自分を鍛錬すること”といった鉄の掟がありました。そのため、我々3人は体育の授業も鍛錬と位置付け、体育の授業は水泳以外、年中半袖・短パンで過ごすことにしました。卒業アルバムには雪が積もったグラウンドを半袖短パンでマラソンするO岩君が載っています。今でこそ笑い話ですが、当時は「寒いからってジャージを着るぬるい奴らよりは鍛錬している」と結構真面目に思っていた記憶があります。会報誌にはこのエピソードが掲載されました。
その話をした後に、ふと、そういった純真さが自分の中で失われつつあると気づかされました。「自分がやる」と決めたことに対して行動を起こすまで、「やる」と決めるまで、経験が邪魔をして「やらない理由」や「言い訳」を考えていることが多いのでは?と感じたのです。高校生の時は、半袖短パンでの運動は鍛錬と信じてやまなかったのですが、そのように、「とりあえずやってみる」といったことが少なくなっています。そして、やらない理由を年齢や経験のせいにしている自分がいました。半袖短パンも、気候や周りの状況に流されず、自分たちで決めたことを卒業まで貫き通したのです。
成功する人の特性として、「行動が早い人」「素直な人」といった要素が数多く取り上げられています。そういったことをやめてしまっている自分は?と高校生の自分に気づかされた出来事でした。
中小企業診断士 東野礼