新型コロナ感染防止と政府の役割

今回は、新型コロナ感染防止と政府の役割について、経済学の視点から考えてみたいと思います。

イギリスの経済学者アダム・スミスは「国富論」の中で、市場で各個人が利己的な行動により自由に経済活動を行えば、神の「見えざる手」により社会全体の利益に繋がると提唱しました。しかし、現実の世界では、各個人の自由な経済活動に任せきりにすることにより、社会全体にとって不利益が生じることがあります。例えば、公共サービスの不足、市場の独占、公害の発生などが該当します。これらは「市場の失敗」と呼ばれ、市場で神の「見えざる手」が働かず、効率的な富の配分が達成されない状況を指しています。

「市場の失敗」が起きる原因のひとつに外部性の問題があります。経済学では、ある経済主体の行動が市場での取引を介さずに他の経済主体に影響を与えることを外部性と呼び、それがマイナスの影響の場合を外部不経済といいます。

例えば、数名のグループが飲食店でお酒を飲みながら食事をしたと仮定します。そのグループの中の1名が新型コロナウイルスに感染していて、一緒に飲食をした他の数名が新たに感染したとします。このまま、何の対策も取らなければ、この飲食で感染した人がまた別の場所で感染を広げるリスクがあり、その先は社会全体が感染リスクに晒されるという事態に発展しかねません。このような外部不経済を伴う経済取引は、その当事者が社会的コストを負担しないため、本来望ましいとされる量を超えて取引が行われます。

「市場の失敗」が存在する場合には、政府がその経済取引を規制することで本来望ましい状態にすることが必要になります。例えば、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などにより、飲食店の時短営業や酒類の提供停止、不要不急の外出自粛などの行動制限を課すことがそれに該当します。

しかし、政府の政策を決めるのは人であり、人が判断する以上、政府の行う政策が必ず望ましい結果をもたらす保証はありません。むしろ、政府が裁量的に経済活動に介入することで、資源の効率的な配分が損なわれることもあります。経済学では、これを「政府の失敗」と呼びます。「政府の失敗」が起きる原因のひとつに「情報の非対称性」があります。政府が企業や個人といった経済主体の実態を十分に把握することができないと、政策効果が特定の集団に偏ったり、情報不足により政策にバイアスがかかったりします。これは政府だけでなく、自治体による行政にも同様のことが言えます。

例えば、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置に基づく感染防止対策として、各自治体が飲食店などに営業時間短縮や休業などを要請し、要請に協力した事業者には自治体が協力金を支給しています。しかし、飲食店以外の事業者の中には、同様の影響を受けているにも関わらず、協力金の支給対象から外れているために、事業者間で受けられる支援に格差が生じています。飲食業以外の業種で協力金の対象にならい事業者については、国からの一時支援金・月次支援金や自治体から別の支援金等が支給されています。しかし、飲食店に対する支援と比べて、一部の業種・事業者については十分な支援が行き届いていないとの声も多く聞かれます。

政府による新型コロナ対策に関しては、「政府の失敗」が起きていないのかについて今後の検証が必要かもしれません。いずれにしても、政府がすべての経済主体の現状について十分な情報を入手することが難しい以上、政府による政策決定が富の配分の効率を歪め、さらには不公平な富の分配を助長する可能性があるということです。

つい先日までは出口の見えなかったコロナ禍での自粛生活でしたが、ようやく経済活動再開に向けた動きもみられるようになりました。政治の世界では、菅総理の退陣が決まったことで自由民主党の次期総裁選挙に向けた動きが活発化しています。衆院総選挙を意識してか、新たな大規模経済対策についての思惑も飛び交っています。コロナ禍の終息に向けては、政府による積極的な政策動員が期待されますが、政府の関与による富の非効率な配分や不公平な分配による経済格差に繋がらないことを願うばかりです。

中小企業診断士 秋田 秀美

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