当たり前のことを徹底する

最近私が意識している言葉の一つに「凡事徹底」というものがある。この言葉の意味は、「なんでもないような当たり前の事を徹底的に行うこと」または「当たり前のことを他人の追随を許さないほど極めること」とある。

特に、私たちの仕事は、相談者の事業をいかに良いものにするか。といったことに知恵を使う仕事である。「良いもの」は、相談者によってそれぞれ、利益を上げる、雇用を増やす、新製品の開発、新規顧客の獲得、など違いがあるが、個人的な経験から大まかにまとめると、社員や取引先を含めた利害関係者の幸福の追求や達成であることが多い。それらをお手伝いするために、相談者との対話を通じて、相談者の現在の課題を明確にし、解決方法を考える必要があるのだが、内容によってはその対話において、一定の質問に対する相談者の反応や回答の内容などからいろいろと読み取ったり、察することが必要な場合もあったりする。そのように、相手の反応に気を配り、言葉を選び、かみ砕いて丁寧に説明することは当たり前に必要である。細かいことにも気を配り、いかに相談者と共通認識を築いていくか。といったことが本質的なのものであると考えているからだ。実際に、相談者との共通認識がないままこちらが誘導する形で進めていくと、後々トラブルに発展したり、時には方向性そのものが違っていたりするといった問題が発生するからである。

一方、そういったことを生業としている私はどうなのか。と自問自答すると同時に、「凡事徹底」を意識するようにしている。

ふと立ち寄ったコンビニエンスストアでの店員さんに対する態度や、学生に対する講義内容や説明、家族や友人に対する態度、車の運転など、そういったことにも気を配ったりできているだろうかと。どんな時も相手がいるのだと、そして少しでも相手の気持ちを考えることができるようにならなければ。といったことを意識して、努力していかなければならないと考えているからだ。それができるようになれば、仕事でもよい結果を出すことができるし、それ以外のこともよい方向に向かっていくと思うからである。まさに「凡事徹底」である。

だが、私はまだまだできていない。仕事や私生活での失敗は、そういったことを意識することができず、どこかで手を抜いていたり、怠けていたり、自分の都合を優先させ、相手に配慮できなかっただろうなと思うし、実際に思い当たる節もある。もっと自分を厳しく律していき、高めていかなければ自分を頼ってくれる相談者の方に良い結果を導くことができないと自分を戒め、日々鍛錬を続けなければならないと思う。それができれば、「凡事徹底」自分の人生も充実したものになると信じている。

中小企業診断士 東野 礼

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